「俺はベンツを3台、スープに溶かした」 ラーメン業界転職で見たリアルな地獄、一時代を築いたプロレスラーの絶望
ラーメン店の経営はなぜ、これほどまでに厳しいのか。その壮絶な舞台裏を余すところなく記した著書『プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る』(宝島社)が話題だ。著者はプロレスラーの川田利明。開店から14年、「ラーメン屋の開業を考えているなら、絶対にやめたほうがいい」と断言する理由とは。詳しい話を聞いた。
「こんなに苦労してもうからない商売はない」
ラーメン店の経営はなぜ、これほどまでに厳しいのか。その壮絶な舞台裏を余すところなく記した著書『プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る』(宝島社)が話題だ。著者はプロレスラーの川田利明。開店から14年、「ラーメン屋の開業を考えているなら、絶対にやめたほうがいい」と断言する理由とは。詳しい話を聞いた。
「ラーメン屋は絶対やらないほうがいい」
東京・世田谷区でラーメン店「麺ジャラスK」を経営する川田は険しい表情で現状を語った。
著書は2019年に発売した単行本を加筆・改題して文庫化したもの。最新の状況を盛り込み、ラーメン店主としてのじくじたる思いを詳細に明かしている。
実際に会って話を聞くと、川田の口からは悲観的な声があふれた。2010年の開店から14年もたつというのに、浮上の兆しが全くない。すでに数千万円を投入し、コロナ禍をなんとか乗り越えても、さらに客入りは下降しているという。
「いやもう、どんどん最悪になっています。夜来てくれるお客さんがいなくなったので。始めたときは夜中の2時までやっていたんですけど、あまりにも人がいなくなったから、もう20時半にオーダーストップです」
ラーメン店の経営に憧れる若者は多い。だが、川田は「こんなに苦労してもうからない商売はないです」と断言する。生き残りの激しい業界であることはデータが示している。東京商工リサーチの調査によると、昨年度のラーメン店の倒産(負債1000万円以上)は、63件と過去最多を更新。人件費の高騰、ウクライナ情勢などによる光熱費の上昇、円安による原材料の高騰などが単価の安いラーメン店に追い打ちをかけている。
川田も当初は、セカンドキャリアに希望を抱いていた。プロレス界では有名なプロレスラー。全日本プロレスでは「四天王」の1人として、三沢光晴らと死闘を繰り広げてきた。ファンは全国に広がり、知名度は抜群。実際、店には遠方からも川田目当てのファンが訪れている。
しかし、経営は順調とはとても言えない惨状となった。“失敗”の理由は分かっている。一番の理由は店の立地だ。小田急線・成城学園前から徒歩12分ほどの世田谷通り沿いにある。かつて近くに全日本の砧道場があったことから、川田にとってなじみ深い土地だった。「いい場所でも通えなかったら何もできないですから」と通勤のしやすさを考えて決めた物件だったが、人通りはまばら。コロナ禍が明け、世の中的に人流は戻っているものの、「それは駅前とか繁華街だけですよ。ここなんてもう戻らないでしょうね」とため息をついた。
牛丼店、コンビニ、バイク買取店……近隣の店舗は続々とつぶれた。それでも場所を変えることはできない。いや、もはや引っ越すことができないほど、資金をつぎ込んでしまっている。
オープン時からとにかく金がかかった。「最初の6年間は本当よくやったなって。いろんな調理器具だのリース代とかもずっと払い続けていました」。家賃をはじめ、業務用の冷蔵庫、エアコン、食洗機、券売機、駐車場代……。開業資金だけで1000万円が飛んだ。
初期投資が想像以上に膨らんだ川田は、愛車にも手をかける。
「俺はベンツを3台、スープに溶かした……」
ベンツはトップレスラーの証し。「プロスポーツ選手は会場入りするときに、ちゃんとした車を何台か持ってなきゃとか、そういう自分のプライドはすごくあった」と、乗っていることがステータスでもあった。開店前にはGクラスのAMGをはじめ、大中小のベンツ3台を所有していたが、背に腹は代えられなかった。1台、また1台。「売れるもん売って金にして続けるしかなかった。プライドも何もない、食いつなぐしかないんだって」。赤字続きの運転資金を補填するため、生命保険を解約。私財を投げ打ち、窮地を乗り越えてきた。
1日立ち仕事で体はボロボロ 坐骨神経痛に悲鳴!
著書では数千万を投入したと明かしているが、総額いくらなのか。
ベンツ売却後は国産車に乗っている川田は「いや、考えたくないです。いろんなものが自分の周りからなくなったし」と言った。
プロレス界には嫌気がさしていた。05年に全日本を退団し、フリーとして各団体に参戦するも、「あっち行っても未払い、こっち行っても未払い」とファイトマネーの支払いはずさんだった。「金にならないものをやっててもしょうがない」と意を決してラーメン業界に転職したが、待ち受けていたのは、さらに過酷な道だった。「未払いどころか自分の金をつぎ込むだけ」と天を仰いでいる。
名物は「カレー白湯ら~めん大盛」(税込み1000円)。プロレスラーの店らしく麺が2玉入っており、ボリュームは満点だ。丹精込めて作ったスープ、そして大きなチャーシューなど具も充実しているが、「結局、ここに来る目的(川田に会うこと)を持って来てくれる人しか来ないから。近所の人が来てくれるわけでもないから」と客数は見込めない。
体もボロボロだ。昨年12月には60歳の大台を迎えた。1日中立ちっぱなしの激務。営業時間外も仕込みに追われ、休むことがない。ちゅう房は川田1人で切り盛りしている。レスラー時代の古傷の右膝に加え、左膝も痛み出し、坐骨神経痛に悲鳴を上げる毎日だ。
還暦を過ぎ、残りの人生をどう生きるかについても考えるようになった。
「プロレスだけに限らず、お相撲さんとかでもみんな結構短命じゃないですか。ここへ来て何が1番大切かって、欲しいものは健康だと思うんですよ。お金よりも健康のほうが大事だと思います。『川田さん、赤いちゃんちゃんこの代わりに、赤いレボリューションのジャケット作ってきました!』。そう祝ってくれるのはうれしいこと。赤のちゃんちゃんこだと、なんか年取りたくない、老いたくないっていう気持ちになりますから」
このご時世にラーメン店の経営だけは勧めないという川田の一貫した主張は、意外なところで共感を呼んでいる。
「ネットで見たけど、ひろゆきさんに、『僕、おいしいラーメンを作る自信はあるんですよ。どうしたら開業できますか』という質問があって、ひろゆきさんは『おいしいラーメンなんか作らなくていい。経営をまず学べ』と答えていた。まさしくその通りで、すごくいいこと言っているなと。で、そのときに僕の本をちょっと取りあげてくれたりしていたので、あ、分かる人もいるんだなって」
ラーメン作りと経営は全くの別。出店してもおよそ半分が1年以内に閉店するとも言われてきたが、コロナ禍を経てその状況はさらに悪化している現実がある。「2ちゃんねる」創業者の“論破王”ひろゆき氏も同意しているというのだから、説得力があるだろう。
経営続行は意地 「場所を変えるぐらいなら…」
店はいつぐらいまで続ける予定なのだろうか。
「体とお金が持つのであれば。お金は本当ギリギリなんで。でも、ここをなくしてしまうと、本当に(レスラーとしての)イベントごとに行くぐらいしか仕事がない。場所を変えるぐらいならやりたくない。さっき言ってた話じゃないけど、健康でいられれば1番いいかなって。それで納得するようにしています」と川田は締めくくった。